一度は見学したい、印刷博物館。印刷の歴史を知ると文字が身近になり楽しくなる。
FONTPLUSでご利用いただけるフォントメーカー14社(2022年3月7日現在)をご紹介する連載マガジンです。今回の第8回は「凸版印刷」です。
凸版印刷と言えば、世界最大規模の総合印刷会社です。1900年の創業以来、「印刷テクノロジー」をベースに社会的価値創造企業を標榜し、さまざまな事業展開を行っている会社です。最近では「すべてを突破する会社」というテレビCMのフレーズが最初に頭に浮かんできます。
さて、直近3回のFONTPLUS noteブログでは「イワタ」「大日本印刷」「モトヤ」を取り上げました。
「イワタ」と「モトヤ」は、書体を設計開発し、印刷会社等へ活版印刷用の金属活字を納品していました。この2社は活字やフォントを製造販売する事業が会社の中核ですので、フォントメーカーと呼ばれています。
一方、前々回取り上げた「大日本印刷」と、今回取り上げる「凸版印刷」はフォントメーカーではなく、印刷会社です。ですが、この2社はフォントメーカー的な役割も果しているのです。
凸版印刷は、なぜ、フォントメーカー的な役割も果しているのか
現在ではデジタルフォントとコンピュータとプリンタがあれば、印刷物を制作することができます。しかしながら、この100年の印刷の歴史をさかのぼってみると、金属活字を使用して活版印刷した時代、写真技術を応用し写植機(手動写植機や電算写植機)を使用して印刷した時代を経て、今日のようなDTP(Desktop publishing)に代表されるコンピュータを活用して印刷するデジタル時代へと変化してきました。
先述のとおり、1960年代までは(それ以降も活版印刷は使用されるが)、凸版印刷の工場では、書籍、文庫本、週刊誌、教科書、漫画等のあらゆる印刷物が金属活字で活版印刷されていた時代がありました。
見出し文字には大きな金属活字(初号、二号、…)が使われ、本文には8、9、10ptなどの活字が使用されていました。金属活字なので、文字の大きさ毎、そして明朝体とゴシック体毎に鋳造する必要がありました。
つまり、印刷工場では金属活字が大量に必要だったのです。そんな中、印刷最大手である凸版印刷において、独自書体が誕生することは必然だったと思います。それが「凸版書体」です。活字があっての印刷なので、大きな印刷会社、新聞社、出版社等で自社のオリジナルフォントが誕生することは珍しいことではありませんでした。
印刷会社でありながらフォントメーカーの役割も果たしているのは、活版印刷が全盛だった時代に理由があったのです。
印刷や活字の歴史が一望できる「印刷博物館」、ご存知ですか?
凸版印刷本社であるトッパン小石川本社ビルに「印刷博物館」があるのはご存知ですか?
印刷博物館は、2000年に創設され、印刷や活字にまつわる常設展示やさまざまな企画展示が行われてきました。ここに来ると、印刷や活字の歴史を見て知って学ぶことができます。そして、印刷工房で活字を組む体験もできます。
人間文化において印刷が果たす役割は大きく、活字やフォントは人々がコミュニケーションする上ではなくてはならない存在です。
それらが体系的に一望できる博物館としては日本最大級だと思います。海外では印刷や活字にまつわる博物館は数多く存在していますが、日本では多くないです。
漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットをすべて器用に駆使し、縦書きと横書きを併用する文化を持つのは日本語だけだと思います。世界と日本の歴史を見比べながら、印刷技術や活字の歴史を学ぶことは、とても重要であり楽しいことなのです。
ここで紹介する展示品は、印刷博物館のほんの一部にしか過ぎません。機会を作って、印刷博物館を訪問することをおすすめします。
※印刷博物館への入場には事前予約が必要です。詳しくは印刷博物館のウェブサイトをご参照ください。
百万塔陀羅尼
日本における印刷の歴史がいつから始まったのかご存知ですか。奈良時代に制作され、100万基の木製小塔に陀羅尼経を納められた「百万塔陀羅尼(ひゃくまんとう・だらに)」が日本の印刷の歴史のスタートと言われています。
実はこの百万塔陀羅尼は、制作された年が明確である世界最古の現存印刷物でもあるのです。
グーテンベルク活版印刷
社会科の授業で「15世紀にグーテンベルクによって活版印刷が発明された」ということを学んだ人は多いと思います。
では、その印刷技術はどんな意義があって、どのような歴史背景で誕生したかを知っている人はどれだけいるでしょうか?
印刷博物館に来ると、その理由や歴史背景を実際に目で見て理解することができると同時に、グーテンベルクの印刷術の発明がコミュケーションのあり方そのものを大きく変えたと感じることができます。
それまでの書物は書写が中心だったので、一度に大量に制作することができず、1冊制作するのに数年かかる場合もありました。それが短期間で大量印刷できるようになったわけです。
情報伝達のビッグバンと言ってもいいのではないでしょうか。
欧文書体の分類年表と欧文活字展示
凸版印刷では600書体以上の欧文活字(金属活字)を所有しているとお聞きしました。これだけ、数多くの欧文活字を所有している企業は少ないと思います。それら膨大な活字を現在も調査研究・分類し、データベース化をしているそうです。そのデータベースをみえる化した壮大な欧文書体の分類地図は一見の価値があります。また、代表的な欧文活字の展示(Bodoni, Baskervill, Garamond, Universなど)を見ることもできます。
ちなみに、印刷を版式で分類すると、凸版、凹版、平版、孔版と4つに分かれます。その中で一番歴史のある印刷方式「凸版」が会社名の一部になっているのは、感慨深いものがありました。
「凸版書体」の誕生
話題を凸版印刷の活字・フォントの歴史に戻しましょう。
凸版書体の歴史をたどると、二瓶義三郎氏という方が重要人物のようです。
1933年(昭和8年)に二瓶氏(当時23歳)が東京築地活版製造所から凸版印刷に転職します。
1937年(昭和12年)、凸版印刷は「ベントン彫刻機」を東京築地活版製造所から譲り受けます。当時、二瓶氏は彫刻種字(職人が手で金属活字を彫っていた時代があった)を正しくベントン母型に移植することに専念していました。
1940年代に、小谷野禎興氏、山岡謹七氏、ミキイサム氏が凸版印刷に入社し、二瓶氏と一緒に凸版書体の制作に携わります。そして、1950年代後半には、8、9、10ポイントの凸版明朝が完成したと言われています。
凸版明朝は、誰でも読める、単純で美しい書体というのが最大の特徴と言えます。かなの「そ」「と」「や」「さ」「き」の筆の脈絡を省いた字形は、子供が間違って読んでしまわないようにという想いで制作していたものと思われます。戦前は行書体の脈絡を残す活字が中心であったが、凸版明朝の原字をみると、独特な雰囲気をもっています。
活字の歴史をざっくりと説明すると、「金属活字時代」「写植時代」「デジタル時代」の順で変遷していきます。そんな変遷の中で、凸版明朝の特徴である「そ」「さ」「き」等の筆の脈略が省かれた字形は、しっかりと引き継がれていくのです。
今の時代にマッチしたデジタルフォント「凸版文久体」の開発に着手
二瓶氏が中心となって制作した凸版書体が誕生してから、凸版印刷の工場では、出版社から依頼された書籍や雑誌は、凸版書体が使用されていたと言われています。当時、活版印刷された多くの市販書籍で凸版書体が使われていましたが、自社工場以外で、この活字が使われることはなかったようです。つまり、凸版書体は門外不出の書体だったのです。
活版、写植から電子組版システムへ印刷の仕組みが変化する中、活字はアウトラインデータ化されました。凸版書体は、自社工場内で、脈々と引き継がれていたのです。
2010年、アップルからiPadが登場し、電子書籍等のデジタルコンテンツが本格的に普及しはじめました。凸版印刷で書体を担当する部門において「凸版書体は金属活字時代からデジタルフォント時代において市場ニーズに適した文字作りを行ってきたが、書体の文化性を考えれば、完成した書体であっても、今のデジタルコンテンツ時代にあった手直しが必要だ。企業マインドとしてのオリジナル書体を見つめ直そう」という熱い魂のようなものが動き出したとお聞きしました。
開発の方向性などの検討を重ねた後、凸版書体改刻チームが発足します。そして、2012年にフォントの試作に着手します。開発する書体のラインアップは本文用3書体(細明朝体、細ゴシック体、中ゴシック体)と見出し用2書体(太明朝体、太ゴシック体)の合計5書体でした。
本文用の明朝体は縦組みの可読性、本文用のゴシック体は横組みの可読性を第一に考えるコンセプトで開発をスタートさせます。なぜならば、ウェブのようなデジタル表現においては、横組みが圧倒的に多いからです。書体改刻チームは、横組みの日本語の文章をテンポよく読めて、内容が伝わりやすい書体は少ないと感じていました。
そんな中、試作フォントを様々な世代の男女100名にアンケートを実施したところ、良好な反応が得られたとのことです。
凸版文久体のゴシック体の特徴として、ひらがな・カタカナの「でっぱり」が一般的なゴシック体とは逆になっています。「えっ、そうなの?」と思ったので、各社のゴシック体で「あさきゆめ」と組んでみたら、でっぱりが左についているのは凸版文久ゴシックだけでした。
また、凸版文久体の記号の雪マーク、雨マーク、曇りマークなどが、とても可愛らしいのです。「文字に萌える」若者を中心に人気があります。
「凸版文久体」という書体名の由来
「文久体」という名前の由来ですが、「文字による言語コミュニケーションで永久に使われる書体を提供したい」という思いが込められているそうです。小学生が習うやさしい漢字であり、振り子のように左ハライと右ハライが交互に現れるリズミカルなカタチに面白さがあり、音として口に出せば、リズムや拍の心地よさがあります。
50年先も100年先も人々の記憶に残るシンボリックな名前として考案されたとお聞きしました。
そして、親みやすいキャラクターの「ぶんきゅうくん」が、ここ6年間、ブランド訴求に大きく貢献していると感じます。このキャラクターの制作者は、僕も大好きな祖父江慎さんです。頭が凸版印刷の「凸」のカタチになっていて、脚は常にクロスしていて「文」のポーズになっています。素敵ですね。
「凸版文久体」ファミリー5書体、2016年に完成
約60年前、金属活字としての凸版書体が誕生し、文庫本などで誰もが目にしている有名な書体ですが、凸版文久体ファミリー5書体が揃ったのは2016年6月。門外不出だった凸版書体が、デジタルフォントとしてオープン化されたのは(誰もが購入してDTPやウェブで使用可能になった)、つい最近のことです。
凸版文久体は、Apple macOS 10.12 Sierraからシステムフォントとして、「凸版文久ゴシック レギュラー」「凸版文久ゴシック デミボールド」「凸版文久見出しゴシック エクストラボールド」「凸版文久明朝 レギュラー」「凸版文久見出し明朝 エクストラボールド」が利用できるようになりました。
そして、2016年8月、FONTPLUSからWebフォントとして、凸版文久体ファミリー5書体が利用できるようになりました。
では、FONTPLUSためし書きで凸版文久体を表現してみましょう。
皆さんも、ぜひ、凸版文久体をためしてみてください。
活字の歴史をたどりながら、凸版印刷の凸版文久体をご紹介しました。次回のフォントメーカーブログにご期待ください。
※挿絵および写真データの一部は凸版印刷様から提供いただきました。
【 FONTPLUS とは 】
FONTPLUS は、2011年7月に、フォントワークス・イワタ・モトヤの 3 社と業務提携し、約200書体のWeb フォントが使えるサービスとしてスタートしました。今年 2021年7月で FONTPLUS は10周年となりました。
2022年2月現在、下記14フォントメーカー、3,600書体以上のWebフォントをご利用いただけます。
プロフェッショナル向けのフォントがこれだけ揃っている FONTPLUS は「百貨店型 Web フォント・サービス」と表現すると分かりやすいかもしれません! 今後も、新機能や新書体の追加、フォントメーカーの追加を検討してまいります。FONTPLUS に関するご意見、ご要望などございましたらお気軽にご連絡ください。